今とこれからのこと。
今、物価が上がり、仕入れ価格の高騰の影響で非常に苦しい状況です。
さぼてん食堂だけでなく、他の飲食店も同じように打撃を受けています。この苦境はうちだけではないとわかってはいるのですが、毎月の通帳残高を見るたびにため息が出てしまいます。
このまま店を続けることはできますが、僕も52歳になり、老後のことを考えると今の状況を続けていくことに不安を感じます。
今まで番頭から「経営を学べ」と何度も言われてきたのに、毎日カレーを作るだけで経営者としての勉強をまったくしてきませんでした。そのため今回の物価高騰に対して何の手も打てずにいました。
僕は「美味しいカレーを作っていれば結果は必ずついてくる」と信じていました。
思い返せば、それだけではダメだとコロナ禍の時に気づいていたのに、新しいことを学ぶことの億劫さから逃げ、カレー作りに没頭することでごまかしていたのだと思います。
なんとかこの物価高騰の波を乗り切らなければなりません。

以前から番頭に「定期的に価格を見直すべき」と言われてきましたが、どうにかして価格改定をせずに乗り切れないかと考えてしまい、頭がまとまらないまま時間ばかりが過ぎてしまいました。
とりあえず、番頭がこれまで言っていた「今すぐやるべきこと」「後々必ずやらなければならないこと」を書き出してみたのですが、自分の手に負えないものがたくさんありました。
・補助金の申請
・借入の準備
・移転の準備
・事業計画書の作成(学ぶ必要あり)
・年次計画表の作成(学ぶ必要あり)
・新しい事業の計画(探す必要あり)
やらなければならないとは思いつつ、思うだけで放置し、先延ばしにしてきました。そのツケがいま膨れに膨れあがって現れたのです。
今の僕には時間も体力もなく、番頭のような能力もありません。さらに「物価が落ち着くのではないか」という根拠のない楽観的な考えがあったことも否定できません。
本当にこのままでは危ないと気づき、申し訳ないと思いながらも再び番頭に泣きつきました。
番頭からは
「やれない理由を考えるな」
「泣きつく暇があるなら手あたり次第やってから言え」
と叱られ、自分の甘さを痛感しました。
今更泣き言を言ってもどうしようもありません。とにかくやれることから始めました。

1. 土曜日限定ディナータイムセットの休止
土曜日限定ディナータイムセットは、手間がかかりすぎて通常のメニューでは出せなかった料理を提供し、お客様に驚きと満足を味わっていただきたいとの思いで始めました。おかげさまで毎月楽しみにしてくださるお客様も増え、ご好評いただいていました。
しかし、その分原価が高く、完売しなかった時のロスを考えるとほとんど利益が出ない日もありました。
研究開発の一環としては自分のスキルアップにつながりましたが、利益が出ないものを続ける余裕は今の状況ではありません。続けたい気持ちは強かったものの、泣く泣く休止を決断しました。
2. 日曜営業とアイドルタイム営業の開始
これまで新商品の開発は日曜日やアイドルタイムに集中して行っていましたが、仕込みと並行して開発するように変更したことで、日曜日とアイドルタイムも営業できるようになりました。
一人で研究するより、丁稚がいることで新しい視点が得られ、開発のアイデアが浮かびやすくなったのは大きな発見でした。やり方を変えることの大切さを実感しました。
アイドルタイム営業を始めた当初はお客様が来ず、不安になる日もありましたが、4ヶ月目を迎えた今は来店も安定し、お客様から「この時間に開いているのは助かる」と嬉しい声をいただいています。
3. 新しい仕入先の開拓
肉、スパイス、米、野菜、油、持ち帰り容器に至るまで仕入れ価格を徹底的に見直しました。
これまでも価格交渉や特殊部位の取引は行っていましたが、まったく新しい取引先を探すことはしていませんでした。電話で相見積もりを取り、少しでも安いところを探しましたが、品質を落とすわけにはいかず、選定には非常に苦労しました。
サンプルを取り寄せて試作を繰り返し、慎重に判断した結果、いくつかの仕入先を変更し、わずかではありますがコスト削減に成功しました。
4. ピクルスの提供終了
さぼてん食堂の玉葱ピクルスは淡路島産玉葱を使用しており、甘く瑞々しく、カレーの口直しに最適で大変好評でした。
しかし、淡路島産玉葱は他産地よりも高価であり、今回の高騰で継続が困難になりました。北海道産や佐賀産で試作しましたが、どうしても品質が劣り、満足できませんでした。
品質を下げてまで提供するくらいならやめた方が良いと判断し、提供を休止しました。
たったこれだけのことを実行するのに、準備に何ヶ月もかかりました。
番頭が言っていた「経営者としてやるべきこと」はまだまだたくさんありますが、僕にはそのうち4つしか実行できていません。
時間がかかるのは、これまでやってこなかったツケであり、経験の積み上げがないからです。それでも今から必死に積み上げて、生き残るつもりです。
つきましては明日、皆様に告知がございます。
こんな未熟なさぼてん食堂ですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

「原価高騰の波を乗り越えられるのか?」
コロナの脅威が去り、一息つけるかと思った矢先、今度は仕入れ価格の上昇が止まりません。
以前、物価高騰のためにメニューを刷新した時にも番頭に助けてもらったのですが、
「定期的に価格の見直しをしろ」
と釘を刺されていました。
そしてついに、その時がやってきました。
今回の物価高騰は前回とは比べものにならない勢いで、容赦がありません。
肉、スパイス、米、野菜、家賃、電光熱費すべてが上がっています。
特に肉、スパイス、米の値上がりは凄まじく、肉とスパイスは約2倍、米に至っては3倍近い値上げです。
過去の仕入れ値上昇は、大きくてもキロあたり100円程度がせいぜいでした。
しかし今回はそれを軽々と超え、しかも毎月のように値上げのお知らせが届き、もう訳がわからない状態です。
カレー屋の稼ぎ時は夏場。
ところが気温が上がりすぎてしまい、お客様が外で並んで待ってくださらなくなりました。
その結果、昼のピークに行列ができず、8月の売上はなんとワースト3に入るという、これまででは考えられなかった異常事態に陥りました。
期待していた11周年も、来店数は昨年を下回り、昼ピークを過ぎても半分以上が残っているという悔しく情けない状況。
手間暇かけて作ったカレーが売れ残ることだけは避けたかったので、仕込んだ分を売り切るまで店を開け続けました。
しかし、お客様が来ない時間はどうしても余計なことを考えてしまいます。
「来年はどうしよう?」
「さぼてん食堂のカレーに魅力がなくなったのか?」
と不安に押し潰されそうになり、辛い気持ちを抱えたままの周年となってしまいました。
最終的には売り切ることはできたものの、モヤモヤした気持ちは消えませんでした。
売上が安定しないまま、このまま店を続けていけるのか?
続ける意味はあるのか?
今はなんとか食べていけていますが、この先のことを考えると老後も含め不安で仕方ありません。
悩んだ末に番頭へ相談すると、烈火のごとく怒鳴られました。
「経営者として一番にやるべきことは、きちんと利益を出すことだ。
お前はただ毎日同じことを繰り返しているだけで、何の努力もしていない。
経営者として全力でやるべきことをやってから泣き言を言え。」
さらに、
「利益が出る経営体質に変えろ。
何をすべきかはわかるはずだ。
せめて自分で必死になって考えてから相談に来い!」
と、今までにないほどの勢いで喝を入れられました。
番頭の言う通りです。
まずは「売上を上げる努力」。
次に「利益を残すために余計な経費がかかっていないかの見直し」。
そして「仕入れ値を下げられるように新しい仕入れ先を探すこと」。
やれることをすべてやり切って、それでもダメなら閉めるかどうか考えよう。
やれることを全てやる!
それでダメなら諦める!
まだまだやれることはたくさんあるはず。
カレー屋を始めた時の初心に戻り、愚痴を言わず、諦めず、全力でこの原価高騰と戦う事にしました。

コロナ禍を振り返って。
11年間の営業の中で、最も記憶に残る出来事は、やはり新型コロナウイルスの影響です。
これまで経験したことのないほどの脅威を持つウイルス、そして国からの営業自粛要請。どうすることもできない無力感に、何度も打ちひしがれました。
営業時間の短縮やお酒の提供禁止、外出自粛など、さまざまな制約が重なる中で、具体的な予防策や解決策を打ち出すこともできず、少なくなっていくお客様をただ見送るしかありませんでした。
これまでの僕の努力は、ただ「美味しい料理を作ること」だけでした。
しかし「将来的に店をどうしていくのか、1年後、5年後、10年後にどうありたいのか?」そんな明確なビジョンは全く持っていなかったのです。
一方、番頭は違いました。
彼は最初から未来を見据え、さぼてん食堂をどのように成長させていくのか、その道筋を描いていました。
対して僕は、目の前のことばかりを考え、毎日のカレー作りに没頭していただけでした。
経営者としての自覚が圧倒的に足りず、そもそも経営者の役割すら理解していなかったのだと思います。
番頭がさぼてん食堂を辞めた理由は、僕が経営を学ぶ努力をまったくしなかったからでした。
そしてコロナの影響が強まるにつれ、自分の力ではどうすることもできず、番頭が以前から指摘していた数々の問題が次々と現実になっていきました。そのとき初めて、自分には経営者としての能力が完全に不足していることを痛感しました。
どうしてよいのかわからなくなり、結局僕は番頭に助けを求めました。
最初、彼は首を縦に振りませんでした。すでに別の事業に取り組んでおり、コロナ禍でも一心不乱にその事業に打ち込んでいたからです。
それでも僕は、自分の浅はかさを詫び、必死に頼み込みました。
「自分では本当にどうしたらよいかわからない。このままでは店を閉めるしかない」と。
そんな僕に対し、番頭は条件を出しました。
「自分の言ったことを、責任をもってやり遂げること」
この約束を条件に、再び力を貸してくれたのです。
番頭はすぐに、給付金の申請やパーテーションの設置、営業時間の変更、アルコール提供の中止など、必要な対応策をまとめて示してくれました。さらに、予測困難なコロナの中で、さぼてん食堂が耐えうる期間を計算し、具体的に道筋を立ててくれました。
もしあのとき番頭がいなかったら、さぼてん食堂がどうなっていたか…考えるだけでゾッとします。
本当に大変な時期でしたが、番頭のおかげで、約3年にわたるコロナという試練を乗り越えることができました。
この経験を通じて、自分の経営者としての未熟さを痛感すると同時に、番頭のスキルの高さをあらためて思い知らされました。
今回の反省を糧に、これからは経営者としてのスキルを一つひとつ着実に身につけていく覚悟です。
「ただの料理人から、本当の意味での経営者へ」その道のりは長く険しいかもしれません。
しかし、これまでやってこなかったツケを払いながら、全力で学んでいこうと思います。

11年分の反省
大阪に行く事を決めた僕は、欧風カレー1本で勝負していく気満々、意気揚々と大阪に乗り込みました!
何故なら福岡で欧風カレー屋をしていた5年間、毎日試作と開発を繰り返し作りあげた自分の欧風カレーに自信を持っていたからです。
ですが、その自信は大阪に来て一瞬で崩れさりました。
何故ならスパイスカレー全盛の大阪では欧風カレーの需要が少なくお客様が求めるカレーは欧風カレーではなかったのです。
これは完全に想定外で、まさかここまでスパイスカレーが猛威を奮っているとは夢にも思っておらず焦りに焦りました。
どうすればお客様に来てもらえるかを必死で考え、ライスの量を変更したり、店の前でビラを配ったりしたものの全く効果はありませんでした。
そして散々悩みに悩んだ結果、さぼてん食堂でもスパイスカレーを提供する事にしました。
スパイスカレーを出すと決めたはいいものの、欧風カレー屋がスパイスカレーを出す事にはやはり抵抗がありました。
なんと言うか、今まで精魂込めて作ってきた欧風カレーを否定しているように感じてしまうのです。
それに欧風カレーの看板を掲げているのに、スパイスカレーを提供する事をお客様が受け入れてくれるかも不安要素でした。
更には他のスパイスカレー屋に負けないレベルのスパイスカレーを作らなければなりません。
当然スパイスカレーの経験はないので、自分が食べて美味しいと感じたスパイスカレーの再現からのスタートです。
スパイスカレーとは何?と作れば作る程わからなくなってきます。
何度も何度も試作するうちに作ったカレーが美味しいのか不味いのかもわからなくなってきます。
それでもスパイスカレーの開発を続けようやく自信を持ってお客様に提供出来るカレーが完成しメニューに追加しました。
発売初日は予想の半分も出ないまま終わりました。
欧風カレー屋のスパイスカレーだから売れないのだろうか?
スパイスカレーはスパイスカレー屋に任せた方が良いのではないかと何度も考えましたが、売上が低迷している中、他に打つ手を見つけられず新作の開発を続けていました。
ひたすら試作を作り続ける生活が何ヶ月も続きやがて転機が訪れます。
今ではさぼてん食堂の顔となっている「ほうれん草と牡蠣のキーマカレー」の完成です。
これが大ヒットした事で一気にスパイスカレーを作ることに対する自信をもつことができました。
このような経緯でさぼてん食堂は欧風カレー専門店を謳いながらスパイスカレーも提供することになったのです。
これでめでたしめでたし、で終われば良かったのですが、終わりません。
またしばらく経つと売上が下がってきました。
理由は告知することに力を入れていない為認知度が低いのです。
どういう事かと言うと一度来てくださったお客様しか来ていないのです。
店の存在を知られていないから新規のお客様が増えない。
これは本当に困りました、まず知ってもらわなければスタートラインにすら立てないのです。
番頭が言うにはSNSを使って宣伝し認知度を上げていくしかない。
ツイッターやインスタグラムを使って多数の人に見てもらえば認知が上がり集客も増える。
有名になることが生き残る為の必須条件だと。
これには非常に困りました。
僕は料理は作れても発信することが大の苦手。
特にSNS関係は何を発信したら良いかわかりません。
美味しそうな写真は撮れないし、
興味をひくような話を書ける訳でもなく、動画を作る技術もないのです。
全てを見よう見まねで始めるしかなく作った動画は何の面白味もないものでした。
僕は今まで美味しい料理を作ることさえしていればお客様は増えていくものだと思っていました。
美味しい料理を作る事が最優先と自分に言い訳をして、苦手な事から逃げていたツケがついに回ってきたのです。
大阪に来て福岡にいた頃はいかに何もしてこなかったかを痛い程感じます。
忙しいから仕方がないと自分を納得させて、ただただ毎日カレーを作っていたあの頃の自分に教えてやりたい。
戻れるならもう一度やり直せるならと思うこともしばしありますが
5年後、10年後の自分に笑われないように今出来ることは何なのかを考えながら一日一日を大切に過ごしていきたいものです。
大阪に来てからの反省でした。

実はアラフォー、その名は丁稚。
丁稚は若く見られる事が多いのですが、実はもう40歳手前で子供も2人いる立派なお父さんなんです。
そんな丁稚と出会ったのはもう12年前、さぼてん食堂を始める前でした。
丁稚は元々番頭が経営するカイロプラクティックの整体院で働いていたのですが、都合により閉店することになり番頭のススメでさぼてん食堂で働くことになりました。
当然料理のことは何も知らず一から教えることになりました。
当初は包丁の使い方や研ぎ方も知らずよく指を切っていた丁稚ですが今では月替わりのメニュー開発もなんなくこなす程に成長しました。
丁稚の良いところは誰にでも好かれる人柄と何にでも興味をもつところです。
今では丁稚の釣り好きは有名?ですが昔から釣り人だった訳ではなく、たまたま知り合いに誘われて行った太刀魚釣りにどハマりし、もの凄い勢いで船舶免許まで取り立派?な釣り人になりました。
釣った魚を捌けるようになりたいとやり方を教わりながら、慣れない出刃包丁を使い真剣な目で捌いていたのを思い出します。
他にもバイクの免許を取ってみたり(今は全く乗っていないようですが)いきなり極真空手に入門してみたりと好奇心の塊のような男です。
空手を始めた頃は練習のあった次の日は痣を作ったり、足を引きずっていたり、肋骨を痛めたり必ずと言って良いほどどこかを怪我していました。
それでも彼は空手を続けてついに大会に出ることになりました。
相手はベトナムから来たグェン選手、初の大会でまさかの外国人選手との対戦です!
結果は負けてしまいましたが
彼は「良い経験になった!もうすぐにでも大会に出たい!」とあり得ない程清々しく前向きでした。
僕なら悔しくて悔しくてしばらくは大会に出たくありません。
彼の1番の長所は物事を良い方に捉え次に活かすところだと改めて感じました。
40手前で空手を始めただけでもたいしたものです。
僕はボクシングが大好きですが今からまた始めようとは思いません。
10年若くてもおそらく、いや絶対にやらないと思います。
丁稚の面白エピソードとしていくつかあるのですが、彼はお酒が大好きで非常によく飲みます。
しかもペースが早い!
なので、人より先に酔っ払い自分の言った事を全て忘れます。
お気に入りの帽子を電車に忘れてきます、荷物も置いてきます。
そして朝青くなってJRに忘れ物がないかの電話をします。
(飲み過ぎた日は大体何かやらかす)
酔っ払ったら仕方ないとはいえ
忘れすぎでしょ
(ちなみに僕は酔っ払うとすぐ眠くなり、森川どこ行った?となります)
他には子煩悩で息子娘大好きです。
息子さんが餃子が好きらしく、張り切って手作りをしてみたらペッと吐き出されたと苦笑いしてました。
息子さんをたまに店に連れて来るのですが優しい目でニコニコしながら話しかける姿を見ると家では良い父親をしているのが想像できます。
こんな感じの子供好きでお人よしの丁稚なのでお客様からの評判もすこぶる良く彼の周りには人が集まります。
カレー屋仲間、釣り仲間、飲み仲間、空手仲間と交友が非常に多いのは彼の特技と言って良いでしょう。
そう考えると僕にはカレー屋仲間のみなので羨ましい限りです。
ちなみに丁稚のお父さんはイタリア料理のシェフです。
もう亡くなっており、実家にはお父さんの残した料理のレシピや包丁が沢山残っているそうです。
彼が以前、本格的に料理に興味を持ち始めたのは、さぼてん食堂で働き出してからなのでもっと早く料理を始めていれば父親に色々聞くことが出来たのに残念でならないと語ったことがあります。
叔父さんが言うには、丁稚のお父さんが作るコンソメスープはまさに絶品でこれ以上のものは味わったことがないらしくさぞかし美味しかったのでしょう。
僕も一度だけでも食べてみたかったなあ。
丁稚の実家と言えば米農家であることは幾度となく公表しているのですが、丁稚はイタリアンシェフの血も受けついだサラブレッドだったりもするのです。
丁稚の自己紹介みたいになってしまいましたが面白い男なので気軽に声をかけてもらえると嬉しいです。
これからもさぼてん食堂共々よろしくお願いいたします。

番頭
僕と番頭が出会ったのは高校時代で共通の友人を介して知り合いました。
番頭は写真部と柔道部を掛け持ちしておりいつも立派なカメラで写真を撮り歩いていました。
僕はカメラなど触ったことなく写真を撮るのはいつも「写るんです」だったので、番頭がカメラを分解して掃除をしたり部室で写真を現像するのを見るのはとても新鮮でした。
そして話をしているとカメラだけではなく映画を撮っている事を知りびっくり!映画は観るもので撮るなんて考えたことも無かったので色々聞くと映画サークルもやっているとの事でさらにびっくり。
撮影用のカメラなんてテレビでしか見たことなかったし、高校生で映画を作っているなんて完全に別世界の人だと感じました。
映画や写真のことは全くわかりませんでしたが、番頭は空手もやっており格闘技の話をしたり、公園で番頭主催の組手のサークルで組み手をしたりと一緒に行動することが増えていきました。
高校時代の番頭はとにかく行動的で、部活を2つ掛け持ちしたうえ空手のサークルを作り、映画を撮り、その費用を稼ぐ為にバイトをするという信じられない生活をしていました。
映画の撮影に何度か裏方として参加したことがあるのですが、交通費、食費、機材、編集費用と、とにかくお金がかかります。
高校生がやるにはかなり厳しい趣味だと思うのですが、番頭は中学時代から始めたと聞いた時には相当驚きました。
(今ならスマホで編集まで出来ますが35年前は携帯すらなかった)
そんな番頭が今俳優もやっていて「侍タイムスリッパー」という日本アカデミー賞を受賞するような作品に出演するとはその頃は全く想像してませんでした。
ちなみに番頭は相当な多趣味です。
空手以外にも剣術もやってます。
剣道なら僕もかじったことがあるのですが、剣術となるとさっぱりわかりません。
一度模擬刀を持たせてもらったことがあるのですが、ずっしりと重くこれだけの重量の刀を侍達は振り回していたのかと思うとにわかには信じられません。
一体どれくらい鍛錬したらあの重い刀を自在に操れるようになるのか?
刀の重量は大体1kgぐらいらしいのですが、想像と思った以上に長さがあり持っているだけで重さで手が震えてきます。
番頭に素振り?を見せてもらったのですが鍛錬の賜物だと感じました。
他にはバイクが好きで今はオフロード車に乗っています。
以前はアメリカンに乗っていたのですが趣味が変わったみたいです。
車は以前レクサスに乗っておりボタンひとつでオープンカーになるタイプで始めて乗せてもらった時は何度もボタンを押してもらい変形?する姿に感動しましたが今は軽自動車に乗っています。
車も趣味が変わったようです。
僕は新メニューを考えるだけでもヒーヒー言ってるのですが、番頭は仕事も俳優だけではなく他の仕事も同時に複数こなしています。
番頭の仕事の正確さと速さ、そして段取りの付け方は尋常ではなく1人で2人分いや3人分の仕事量をこなしてしまいます。
大体全ての事に対して速いのですが、特にパソコンを使う仕事の速さは異常なまでに速く僕が2〜3時間かかる事を30分もかからず終わらせてしまうのです。
番頭はマルチタスクは訓練で出来るようになると言いますが、僕は同時に何かするとごっちゃになってしまうのでマルチタスクが出来る番頭が本当に羨ましいのと、この歳になるまで訓練してこなかった事が悔やまれてしかたありません(僕は本当にパソコン関係が苦手で、せめてパワポとエクセルくらい自在に使えるようにならねばと思う毎日です)
このようにさぼてん食堂が今までなんとかやってこれたのも、全て番頭がどのようにしたら良いかを考えてくれたおかげです。
もう番頭はさぼてん食堂から卒業してしまったので、これからは僕が考えて模索していかなければなりません。
*とはいえ、卒業してからも数えきれないほど泣きついては助けてもらってますが(苦笑)
僕は番頭のように頭が切れる訳ではないので何をやるにも時間がかかりますし、これからやる事が正解かどうかもわかりませんが今まで番頭がやってきたことを思い出しながらやっていこうと思います。
商品開発はもちろんのことお客様に喜んで頂ける店づくりを全力で行っていきますので、これからもさぼてん食堂をよろしくお願いいたします。

「美味しい」は時代と共に変わっていくもの
さぼてん食堂店主森川です。
ブログ3回目は
①料理について
②欧風カレーについて
③スパイスカレーについて
の3つを書いていこうと思います。
①料理について
30年以上料理に関わり続けてきて思うことは、人の好みは様々で多数に対しての100点満点の料理を作ることは出来ないということです。
1人に対してなら相手の好みや嗜好に合わせていくことで100%満足してくれる料理を作ることは可能だと思います。
これが10人、100人と増えてくると仮に100人の好みが分かっていたとしてもどこかで平均を取らざるを得なくなります。
誰もが満足する料理を作りたいと思うのは料理人として当然の欲求なのですが、全ての人に合わせると突出した個性を出せなくなり平均値での美味しいになってしまう危険性があります。
どちらが良いと言う訳ではないと思いますが料理に対する自分の指針がないと作る料理はブレてしまいます。
一部のお客様に対しての100点を目指す尖った料理にするのか?
万人に対して受け入れて貰えるように80点を目指すのか?
このどちらかを選択し開発していくことになります。
さぼてん食堂としての方向性は100%を目指す!です。
万人に受けるカレーではなく、今まで食べたことがない味を目指し
新しいカレーの可能性を模索し続けていこうと思います。
②欧風カレーについて
カレーと言えば欧風カレーの事で
大阪に来てスパイスカレーに出会うまでは深く考えたことはありませんでした。
僕が思う欧風カレーは煮込み料理です。
柔らかく煮込まれたとろけるような牛肉となめらかな口当たりの程よいスパイス感のカレーソースこそが欧風カレーの王道であると思っていました。
そして僕もこの王道のカレーを追求していきいつか必ず極めてやると試行錯誤を繰り返していました。
それが大阪に来てスパイスカレーと出会ったことで変わっていきます。
欧風カレーとスパイスカレーと両方の良いところを融合させた
「クラフト欧風カレー」
への挑戦です!
従来の欧風カレーファンとスパイスカレーカレーファンに新しい欧風カレーの形として訴えていく。
欧風カレー自体を変えていくことで欧風カレーの新しい可能性が生まれたのです。
王道の欧風カレーとは違う新しい欧風カレーであるクラフト欧風カレーを作っていくことが、さぼてん食堂の進む道です。
まだまだ完成形には程遠いですが
カレー屋としての生涯をかけて追求していこうと思っています。
③スパイスカレーについて
大阪に来て番頭に連れていかれたカレー屋で出てきたカレーは今まで見た事もない見た目と味で意味が分からず混乱したのを覚えています。
九州にいた頃にはカレーと言えば
欧風カレーとインドカレーの2種類しかありませんでした。
(厳密にはタイカレーやスープカレーなどもあったが数は非常に少なかった)
なのでスパイスカレーという存在を知らないし、見た事もなかったのです。
最初に食べた時はスパイス感がキツくホールスパイスの舌触りに抵抗感があったのですが、2件3件と食べ歩くうちに舌が慣れてきたのか気にならなくなってきました。
4件5件と食べ歩くと様々なスパイスによって引き上げられた旨みを感じるようになり、スパイスカレーの奥の深さにすっかりハマりました。
そうなると自分でもスパイスカレーを作ってみたくなります。
1番美味しいと感じたカレーを模倣し、食べた時に何に対して美味しいと感じたのかを研究しました。
試作し研究を続けた結果、スパイス、出汁、ライス、副菜と様々な要素が組み合わさって作られたスパイスカレーは欧風カレーにはない食べ続ける際の味の変化が多くの人に受け入れられている要因だと結論が出ました。
大阪独自の進化を遂げ、大阪に根付いたスパイスカレー文化の素晴らしさは多種多様な料理人達が自由な発想で作ることで生まれ生き続けているのではないでしょうか。
これから先スパイスカレーがどのように変化していくのか楽しみです。
*画像は2025年の11周年記念メニュー
「黒毛和牛の深煎り焙煎キーマと燻製鶏ハラミのクラフト欧風カレー」
